| EDITH LEFEL
“La petite fée(小さな妖精)”エディット・ルフェール。1980年代ズークのブレイクと共に颯爽とシーンに現れた彼女は、当時のタイトなビートを持ったダンスチューンや、現在の主流ともいえるR&B色の強いもの、甘いズーク・ラヴとも異なる、人々が懐かしむような伝統的なエッセンスを交えながら、歌詞やメロディに重点を置いた淑やかな歌で成功を勝ち取ってきたアーティストである。度々曲を取り上げている通り、エディット・ピアフの大ファンということも、彼女の嗜好が単なるダンスミュージックではないことを示す逸話だ。
1963年11月生まれ。彼女の生まれはマルティニークではなく、母方の故郷である仏領ギアナ。当時襲来したハリケーンの名に因んで「エディット」と名付けられたそうだ。幼少の頃をマルティニークで過ごし、ギタリストの兄のバンドと共にローカル・パーティなどで歌っていたらしい。
その後のティーン・エージャーの頃は、法律の学位を得るためにパリ郊外で勉学に勤しんでいたが、音楽への情熱を捨てきれず、スタジオをまわりながらコーラスの仕事をしていたという。カッサヴの連中と知り合ったのはこの頃のようだ。
エディットの最初の成功が訪れたのは1984年、コンパやサルサなどを取り入れた雑食性の高いグループ、ジャン=ミシェル・カブリモル率いるマフィアのツアーに同行することになり、ツアー中にジャン=リュック・アルジェとのデュエット「Iche Maman」をレコーディングする機会が訪れることになる。これをきっかけにコーラスガールとして様々なセッションに招かれるようになり、作曲家ロナルド・ルビネルを紹介されるに至っているわけである。ロナルド・ルビネルとはプロデューサーとして、夫としてエディット・ルフェールの成功を支えてきた、現在ではズークシーンの顔役とも言うべき活躍を見せるアーティスト、レーベル“ルビカラー”代表。
そして次に訪れたのが1987年、日本でもライヴビデオがリリースされた、マラヴォワのゼニット公演での仕事。コーラスとしてのみならず、マラヴォワ最初のヒット曲として知られる「CARESSE MOIN」のリードヴォーカルを任されたのである。その後フィリップ・ラヴィルのバックを務めた後、ラルフ・タマールとのデュエット「S.O.S. MÉMÉ」がヒット。さらに当時のズークシーンを牽引していたジョルジュ・デブスのGDプロダクションから、1988年にソロアルバム「LA KLÉ」をリリースすることになり、これにより彼女の評価が確固たるものになったわけだ。
1992年のアルバム「MÈCI」の大ヒットとSACEMでのベスト女性シンガーの受賞。同年に行われたマラヴォワのパリでのライヴで、豪華ゲストのなかで最も歓声が大きかったのも彼女。1996年のオランピア劇場のスーパーライヴ… 彼女は次々と伝説を創り上げていく。
1999年キューバへの嗜好を示した夫、ロナルド・ルビネルのカラー全開の『A FREUR DE PEU』や、アコースティックな部分を高めた2002年の『SI SEULEMENT...』では、円熟味を増しながらもフレッシュな歌声で、私たちを魅了してくれた。
そして2003年1月、突如エディット・ルフェールは逝ってしまった。享年39。マルティニークの貴重な才媛は去ってしまったけれど、彼女の歌声は多くのファンの心にいつまでも響き続けるに違いない。
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